感情とのつきあい方。感情は十分感じて味わうことで和らぐ
たまに ふと、思う。
「やっぱり生きててほしかったな」と。
私の母は10年前、47歳で突然この世を去ったのですが
今も、ふと「会いたいな」そう思う。
お空で元気にやっているかしら♡
ぶつぶつ(*´з`)
生まれる「感情」や「気持ち」は、押し殺さなくっていい。
私たちは日々様々な
感情が湧き上がりますよね。
感情はときに
しっかりと感じて、味わい
受容することが大切です。
と、言う私は
これ、真逆のことを長らくしていました・・・トホホ
こんなん思っちゃいけない!
(思っているのにね)
こんな感情は出しちゃいけない!
(まぁ出す場所を選んで出した方がいいものも沢山あるのにね)
と
今までの失敗経験、遠回りをしたからこそ、
お伝えしたい「感情とのつき合い方」を
今日は私の経験を事例にお伝えします。
***
数年前、今よりも息子が小さいときのことです。
「あいちゃんさ、すごいよ。よくやっているよ。」
子どもが幼い時、唐突に母の友人にそう言われました。
え?なんで?と思いつつ
その時、なぜだか、溢れそうになる涙を堪えるのに必死でした。
(あ、この時も、人目では泣いちゃいけない!泣くべきじゃない!って思っていた私は、必死ですw)
「子どもがいるからこそ、母親に聞きたいことってあるでしょ。
それに近くにいるいないじゃなくて、無条件に頼れる場所があるかって大きいじゃん。」
そう言われて、ハッとしました。
「母がいたらなぁ」と、思わなくはない。
実は心の奥でよく思っていたこと。
でも、亡くなっている母を
「いたらなぁ。」
そう、思っても仕方ない!
いやいや、思ってはいけない!
と、どこかで蓋をしていたことでした。
ないものではなく
あるものに、できることに目を向ける。
そんな私の思考が邪魔をしていたのですよね。
***
これまでも、母が亡くなってから
たくさん悲しみを感じてきましたが、
どこかで蓋をしていた部分。
それが、やっと
子どもとの時間を過ごす中で、真正面から感じることができました。
やっと、しっかりと
悲しみを味わえた。
そんな感覚でした。
***
本当はものすごく悲しい。
母に生きててほしかった。
母に会いたい。
今だって、会えるものなら会いたい。
あのね、もっと一緒にいろんなところに行きたかったな。
きっと、ずっとずっと心配していたよね。
でもね、もう大丈夫だよ。
その姿も見せたかった。
大切な人と出会ったよ。
子どもを迎えて、家族になったよ。
私、子育てしているよ。
本当は抱っこしてほしかったな。
子育ては思っていたよりも大変だね。
でも、子どもは思っていた以上にめちゃくちゃかわいくて、愛しい。
この小さな命がただいるってだけで、力が湧くんだね。
でも、泣きたくなる時もたくさんあるんだ。
お母さんになった私で、母と色々話したかったな。
本当はめちゃくちゃ頼りたい。
ふと、切なくなるし、周りを羨ましく思ってしまうこともあるよ。
居てほしかったな。
生きててほしかったな。って。
こんなとき、母ならどうしたのかな。って考えるよ。
でもね、そんな風に葛藤もしながら
子育てする中で気が付いたよ。
あーそうか。
肉体としては、この世からいなくなったけど
天国へ行ったけど
ここにいるんだね。
ここに生きているんだね。
私の中に。
そばにいてくれているんだね。
二度と会うことはできない悲しさと、
でも、ここにいる。
そう感じれたとき、
涙があふれ
それが時を経て繋がり
悲しみに蓋をすることなく、存分に感じれたとで
ふわっと、楽になりました。
もちろん、大切な人との離別の経験、その喪失体験は
時間が必要なものでもあります。
(※ここは次回メルマガでお伝えしたいと思います)
愛子さんも、もし
感情に蓋をしがちでしたら、
「感情は十分感じて味わえば和らぐ」
ということを知って、
どうぞ蓋をしていたもの、殺していたものに
ジャッジせず
「そう感じるんだね。」と、自分へ声をかけてあげてほしいなと思います。
自分に声をかけるでもいいですし、紙に書き出すでもいいです
まずはその感情を受容してあげてほしいと思います。
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