歩いたって、止まったっていいんだよ。
右手に上の子、左手に下の子。
小さな子ども達の手が
私の手をギュッと握ってくる。
しっかり握りしめたその手たちは
つないでいたかと思えば
とつぜんに放して・・・
自らの世界を広げるかのように
冒険に出かける。
そして、また
私のところへもどっては
その手をしっかりつなぎ返す。
そんなことを繰り返し
小さかった手は
少しずつ大きくなって
放さなかった手を
自ら放して
世界を広げていくこと
安心感を確かめること
交差しながら
自らの人生を歩む道を
つくっていく姿に感慨深くも・・・
今度は私が
その手を握りしめ続けないように
その加減やバランスを
大切にしたいな
とも感じています。
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そんな子ども達と散歩に出かけると・・・
歩いていたかと思うと
急に走りだしたり
脇道それて
止まっては
アリの行列を観察したり
道端のクローバーを摘みだしたり
またゆっくり歩きだしたかと思ったら
来た道を戻ったり・・・
歩いたり
走ったり
止まったり
しながら
ゆっくり進む
そんな子どもとの散歩時間は
「ゆっくり歩いたっていいんだよ」
「立ち止まったっていいんだよ」
「走り続けなくっていいんだよ」
「休んでいいんだよ」
と、これまで
走り続けることしかできず
歩みを止めることができなかった私にとって
忘れていた大切なことを
思いださせてくれ
”それでいいんだよ”
そう許可をしてくれるかのようです。
***
![](https://umedaaiko.com/wp-content/uploads/2022/09/a538aa21a13371fa086a0c0f8dd2cfdd_t.jpeg)
今ではすっかり減りましたが^^;
私は、よーく走っていました。
思い返すと子ども時代から・・・
子どもの頃は野山をかけまわり
学生の頃は
長距離系の競技スポーツをしていたこともありますが
日々のトレーニングでは
長い距離、長い時間を走ることも日常でした。
フルマラソン、100㌔マラソン
なども走りました。
山もよく走っていました。
移動で歩くときも
基本早歩き。
(癖であり、性分でもありますね)
そして
いつしか
ゆっくりすすむことも
止まることも
休むことも
不安になる自分がいました。
だけど
ゆっくり歩くからこそ
見える景色があること
止まるからこそ
見える景色があること
子ども達との暮らしは
そんな大切なことを思いだす
プロセスなのかもしれないなぁ
と今、その大切さを
教えてもらっているようです。
*
立ち止まっていてはだめ!
前進しつづけるべき!
歩みをとめちゃいけない!
どこか
強く握りしめていた価値観であり
不安だから
走り続ける選択しかできなかった
あの頃の私に
「そんなことないよ。
歩くから見える景色があって
止まるから見える世界があるんだよ。」
つなぎ、歩く
その小さな手が
教えてくれるのでした。
そして
走り続けていた頃には見えなかったものが
ゆっくりゆっくり歩くことや
今、ここにとどまることで
はじめて見えるモノ
はじめて見える見え方があります。
![](https://umedaaiko.com/wp-content/uploads/2022/09/suicide-survivors-guiltpng.png)
「歩いたっていいんだよ。
止まったっていいんだよ。」
いろんなスピードで歩んだらいいよ。
その分、人生を味わえるから。
By 太郎、次郎