歩いたって、止まったっていいんだよ。



右手に上の子、左手に下の子。

小さな子ども達の手が
私の手をギュッと握ってくる。

しっかり握りしめたその手たちは
つないでいたかと思えば
とつぜんに放して・・・
自らの世界を広げるかのように
冒険に出かける。


そして、また
私のところへもどっては
その手をしっかりつなぎ返す。

そんなことを繰り返し

小さかった手は
少しずつ大きくなって

放さなかった手を
自ら放して


世界を広げていくこと
安心感を確かめること


交差しながら
自らの人生を歩む道
つくっていく姿に感慨深くも・・・

今度は私が
その手を握りしめ続けないように

その加減やバランスを
大切にしたいな
とも感じています。


そんな子ども達と散歩に出かけると・・・


歩いていたかと思うと
急に走りだしたり

脇道それて
止まっては

アリの行列を観察したり
道端のクローバーを摘みだしたり

またゆっくり歩きだしたかと思ったら
来た道を戻ったり・・・


歩いたり
走ったり
止まったり
しながら

ゆっくり進む
そんな子どもとの散歩時間は


「ゆっくり歩いたっていいんだよ」
「立ち止まったっていいんだよ」
「走り続けなくっていいんだよ」
「休んでいいんだよ」


と、これまで
走り続けることしかできず
歩みを止めることができなかった私にとって
忘れていた大切なことを
思いださせてくれ

”それでいいんだよ”
そう許可をしてくれるかのようです。

***




今ではすっかり減りましたが^^;
私は、よーく走っていました。

思い返すと子ども時代から・・・

子どもの頃は野山をかけまわり
学生の頃は
長距離系の競技スポーツをしていたこともありますが
日々のトレーニングでは
長い距離、長い時間を走ることも日常でした。


フルマラソン、100㌔マラソン
なども走りました。

山もよく走っていました。

移動で歩くときも
基本早歩き。
(癖であり、性分でもありますね)




そして
いつしか
ゆっくりすすむことも
止まることも
休むことも
不安になる自分がいました。




だけど
ゆっくり歩くからこそ
見える景色があること

止まるからこそ
見える景色があること



子ども達との暮らしは
そんな大切なことを思いだす
プロセスなのかもしれないなぁ

と今、その大切さを
教えてもらっているようです。





立ち止まっていてはだめ!
前進しつづけるべき!
歩みをとめちゃいけない!


どこか
強く握りしめていた価値観であり

不安だから
走り続ける選択しかできなかった
あの頃の私に


「そんなことないよ。
歩くから見える景色があって
止まるから見える世界があるんだよ。」



つなぎ、歩く
その小さな手が
教えてくれるのでした。


そして
走り続けていた頃には見えなかったものが

ゆっくりゆっくり歩くことや
今、ここにとどまることで

はじめて見えるモノ
はじめて見える見え方があります。








「歩いたっていいんだよ。
 止まったっていいんだよ。」

いろんなスピードで歩んだらいいよ。
その分、人生を味わえるから。

By 太郎、次郎

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