いとこの死。母の死。死別体験から

救急車が通ると、全身が硬直するような緊張感が走り
そして、涙が流れてくる。
そんなことが続いたあの頃。



夫と一緒に暮らすようになってから
「今日の帰りは〇時になるよ。」と伝えられている
その時間になっても
夫が帰ってこないと
不安になって
本当に帰ってくるだろうか。
事故で死んでしまってはいないか。
もう二度と会えないんじゃないだろうか。
帰ってくるまでの時間を
良からぬ想像でいっぱいにしていたあの頃。






「死」と隣り合わせで起きる
その良からぬ想像や恐怖感は
拭い去るまでも時間が必要で


「そんな想像をしなくても・・・。」


そう思う自分もいるけれど
そう考えている自分がいる。

そんな二度と会えなくなるんじゃないか
と思う怖さが
いつもある感覚は拭い去れずにいた。


良からぬ想像を
どんどんしていってしまう状況や

その想像と実体験とが重なり

現実との境目が曖昧になっては

恐怖感が肥大化し
カラダの反応とも連動していく状況は
しばらく続いた。


だけど
どこか
こんな自分のことをおかしいと思っていたから
誰にも言えずにいた。





先日、久々に
いとこがバイク事故で亡くなった
その道を通った。

高校時代にバイク事故で亡くなった
私より一つ上のいとこ。

その事故現場の道を通るとき
しばらくは
全身に力が入り、握っているハンドルに力が入り
呼吸が浅くなる。
毎回、そんな自分がいた。

わざと、その道を避けて通ることもあった。

だけど
今は、手、肩、全身に力が入る
条件反射としてあった
あの感覚はなくなっていた。



あのとき感じた怖さや
家族や周囲の涙が
ありありと思い出されるから

高校生の私は
ものすごく怖くて
その恐怖心や現実に
直視できずにいたけど


時間が
少しずつ
少しずつ
緩和させてくれるものでもあるということを

時間をかけながら
感じています。


だからかな

「人はいつかかならず死ぬんだよ。」
「それがいつかはわからないんだ。」


そんな「死」の話を
自然とする我が家では

「死んでも心の中で生き続けるんだよ~」

「歳を重ねて死んじゃっても、オレのこと心の中で守っててほしいんだよね。」

と話す息子たち。

そして

「生きているだけでいいんだよ」

と伝えてくれては

「お母さんとお父さんには生きれるだけ生きてほしい」

と話す様子に
救われているこの頃です。


【編集後記】

しかし、トラウマ!?として
未だに、即座に恐怖感を覚えるものがあります。

それは、たまにかかってくる父親から電話。

これも条件反射的に
着信の名前に父親と出ると
びくっとしてしまいます。

母が亡くなったとき
めったにかかってくることのない父からの電話が
母の意識不明であるとの状況を伝える電話であり
その1時間後に亡くなったことの電話だったこと。


それが未だに
怖さとしてあり
父親からの電話に条件反射的に
びくっとするのでした^^;




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